演劇は楽しいです。関わっているうちにより「表現したい」という気持ちが強くなると思います。役者やってみたい、脚本書いてみたい、こういう演出してみたい、こういう照明、こういうシーンでこういう音響。頭の中でなんとなく「やりたいこと」ができると思います。
しかし、駒場の中で発生した「やりたいこと」の何割が実際に実現するでしょうか?僕はその確率が相当低いのではないかと思います。いろいろと理由はあると思っていて、完全に駒場だからというわけではないのですが、ひとつ大きな理由としてサークル現役として使っている小屋が「駒場小空間」であることに起因しているのではないかと考えます。
駒場小空間で本公演をやろうとすると、とにかくいろいろな資源が必要です。人、金、時間。全部大量に必要とします。現役のころはこれらが担保されるような仕組みがあるので公演を作るという面であまり心配はないのですが、じゃあ独自で駒場小空間を利用して「やりたいこと」を消化しようとすると相当大変です。また、他でやればいいと言われるかもしれません。それは正しく、実際外でやっている人は少なくなく、コロナ以降はプロデュースとして外小屋で打つ事例が多くなってきました。実際に小規模の外小屋で打ってしまえばいかに駒小でやるより比較的手間なくやれるかがわかると思いますが、現役では駒小しか使わないわけですし、比較的手間なくとは書いたものの初めての外小屋は結局大変なので、相当の想いがないとたかが自分の「やりたいこと」を消化するためにそこまではしないと思います。少し暗い感じの文章になってしまっていますね。でも僕が問題視しているのはまさにこれで、演劇は楽しくて、楽しいからより表現したくなって「やりたいこと」は生まれるのに、その先にあるのはこのように暗めに感じてしまう実情なのです。
まあ、以上が堅苦しい感じの理由なのですが、要するにもっと気軽に「やりたいこと」を実現できる場を作りたいというのが野望です。そして、あわよくば僕がいなくなっても続けばいいなと思っています。
演劇は楽しいです。関わっているうちにより「表現したい」という気持ちが強くなると思います。役者やってみたい、脚本書いてみたい、こういう演出してみたい、こういう照明、こういうシーンでこういう音響。頭の中でなんとなく「やりたいこと」ができると思います。
しかし、駒場の中で発生した「やりたいこと」の何割が実際に実現するでしょうか?僕はその確率が相当低いのではないかと思います。いろいろと理由はあると思っていて、完全に駒場だからというわけではないのですが、ひとつ大きな理由としてサークル現役として使っている小屋が「駒場小空間」であることに起因しているのではないかと考えます。
駒場小空間で本公演をやろうとすると、とにかくいろいろな資源が必要です。人、金、時間。全部大量に必要とします。現役のころはこれらが担保されるような仕組みがあるので公演を作るという面であまり心配はないのですが、じゃあ独自で駒場小空間を利用して「やりたいこと」を消化しようとすると相当大変です。また、他でやればいいと言われるかもしれません。それは正しく、実際外でやっている人は少なくなく、コロナ以降はプロデュースとして外小屋で打つ事例が多くなってきました。実際に小規模の外小屋で打ってしまえばいかに駒小でやるより比較的手間なくやれるかがわかると思いますが、現役では駒小しか使わないわけですし、比較的手間なくとは書いたものの初めての外小屋は結局大変なので、相当の想いがないとたかが自分の「やりたいこと」を消化するためにそこまではしないと思います。少し暗い感じの文章になってしまっていますね。でも僕が問題視しているのはまさにこれで、演劇は楽しくて、楽しいからより表現したくなって「やりたいこと」は生まれるのに、その先にあるのはこのように暗めに感じてしまう実情なのです。
まあ、以上が堅苦しい感じの理由なのですが、要するにもっと気軽に「やりたいこと」を実現できる場を作りたいというのが野望です。そして、あわよくば僕がいなくなっても続けばいいなと思っています。