【駒場演劇祭に寄せて 先輩として後輩に伝えたいこと】

【駒場演劇祭に寄せて 先輩として後輩に伝えたいこと】

2023/12/24

どうもこんにちは。アマヤドリという駒場出身の劇団で劇作家/演出家/主宰を務め、かれこれ二十年ほど舞台関係の仕事に携わっている広田淳一と申します。今回、先輩として後輩に伝えたいこと、というテーマでなんか書いてくれ、ということでご用命賜ったわけですが、改めて考えてみると構えてしまう部分もありますね。ふわっとした気持ちで書いてみたいと思いますんで、どうぞ気楽に読んでいただければと思います。

若い頃から今日までの自分を思い返してみると、それこそ「恥の多い生涯を送ってきました」ではないですが、とても順風満帆とは参りませんでした。公演で大赤字をぶっこいて首が回らなくなってしまったことは一度や二度ではございませんし、やれ劇団員が加入するだ辞めるだ、すわ解散か、追放だ、お前こそ出ていけ、など、人との出会い、別れに関してもいつもいつも円満というわけではありませんでした。

僕が後輩に伝えたいこと、というか、自分が若い頃からもう一回人生を生き直せるなら言ってやりたいこと、あるいは、自分の人生でこれだけはなんとかやってきたからどうにかなった、という部分としては、もう一にもニにも、「人と関われ」ということに尽きるのではないかな、と思います。とりわけ、「仕事を通じて人と関われ」ということを、今日は書きたいと思います。

いろんな意味で、深い人付き合いを避けることが年々、容易になってきていると思います。飲み会の誘いひとつにしたって、「とても断れる雰囲気じゃない」という現場もまだあるでしょうが、「どんな場面であれ僕は絶対行きません」てな生き方をする人も少なくないわけで、「人付き合いをしない」というスタンスに対しても年々、許容度が高くなっていると思います。逆に言えば、誰も、他人を強引には誘えない時代になったし、誘ってもらえない時代になってきた。それはきっと「良いこと」なんでしょう。「ひとりになりたいんだ」という欲求を叶えてくれる環境が、技術的にも、人間関係的にも整ってきた時代だな、と思います。まあ、しかし。人間はなかなかひとりでは生きていけない生き物でもあるわけです。

僕がまず言いたいのは、若い頃こそ深い人付き合いをしましょう、ってことです。確かにね。おっさん、おばさんより若い人の方が傷つきやすいというのはあると思うんです。フラジャイルな時期と申しますか、広田の当社比で考えてみても、若かりし自分の方がいろんなことに傷ついていたし、少しの摩擦でやれ裏切られたとか、人を傷つけてしまったとか、愛しているだのもう生きていけないだのと、その都度、大騒ぎしていたように思います。とてもナイーヴだったし、傷つきやすかった。でも、なんか体力もあったし、ぶつかっても復活するだけの回復力があったんだな、とも思うんです。そういうものを失いつつある時期の人間としてはね。

思うに、人間関係の失敗においては二度目、三度目の間違いというのが往々にしてある。ああ、またこのタイプの人と揉めてしまった、とか、自分には重すぎる約束をしてまた人を裏切ってしまった、とか、「いつか来た道」を、そうとは知らずに何周かしてしまうわけです。人間関係の過誤においては特にそれが顕著だった。恋愛においても、同じような人を好きになって、同じように入れ込んで、同じように揉める、とかね。そういうことが沢山あった。でも、やっぱり、一度目と二度目では違うわけですよ。どんなに衝撃的なラストが待っているとしても、ニ回目に観るサスペンス・ドラマは一度目ほどに心動かされない。なんか、耐性がついているわけです。もちろん、それは単に心が摩耗しているとか、感覚が麻痺しているとも言えるわけですが、ある意味ではタフネスを獲得したとも言えるわけで、そういうものに、私はなりたいと思って生きてきて、まあ、なんとか、なれているな、という部分がある。

劇作家/演出家というのは妙なお仕事で、僕は作家業をやっている時にはとにかくひとりになりたい人なので、「誰も連絡をしてくるな!」みたいなことを周囲に言い放って引きこもりまくって執筆をするわけですが、演出家として現場に出たら、もう、日々、十数名、下手をすると数十名の人と濃い関わりを持つわけです。公演直前ともなれば、うっかりしているとすぐに未読のメッセージが三ケタを超えてしまうような、「どんだけみんな俺と連絡を取りたいんだよ」状態になるわけですが、公演が終わるとスマホの契約期間が終了したのかと思うほど誰からも連絡が来なくなる……。と、そんなことの繰り返しをずっとやって参りました。はかないものです、人間関係は。そして現金なものです、人間というものは。現場が終わり、利害関係が無くなれば、それと同時に消えてしまう繋がりも多い。でも、それこそがすばらしい、と近頃は思います。べちゃべちゃとずっと一緒にいるよ、という付き合いではなくて、お互いに仕事をやりたくて、その上で誰かの協力が必要になって、利害の一致している期間に信頼関係を結んで仕事をする。そして、仕事が終わったらそれぞれがまた次の仕事、次の現場へと赴いていく。そういった、自立した人間同士の信頼関係が仕事の現場では必要になる。目の前にいる個人、信頼していた友人や、同僚や、恋人などに裏切られることは多いですが、仕事で身につけた能力や、信用は、人が去っても無くなりません。仕事人としての信頼を糧に、次の出会いを得ることができるのです。だから、「仕事を通じて人と関われ」ということを僕は後輩たちに伝えたい。君の人格に何度失望されたとしても、そんなことではゆるがない職能を身につけろ、ということです。

おっさんとしてここまでの人生を振り返ってみて、すべての現場、すべての人間関係が幸せいっぱいとはいきませんでしたが、あの人と出会えて、短い時間にせよ仕事をできたことは本当に良かったな、とか、十年ぶりにまた現場でご一緒して、お互いがんばってきて良かったですね、とか、そういう出会いが沢山あることは疑いようもない事実なわけです。というか、僕の人生の中で、財産といえるものがあるとするなら、そういった時間、人間関係でしかないな、と思うほどです。人と出会って、お互いの人生の貴重な時間を費やしてひとつの作品、ひとつの仕事に打ち込めた。そのことは、本当にありがたいな、と思います。もちろん、今でも僕をブロックして「広田とだけは連絡を取りたくない」と思っている人も沢山いるわけですが、それでも、そもそも出会わなければ良かった、とかそもそも関わらなければ良かった、とは誰に対しても思わない。苦い思いも含めて、成長の糧になったし、同じ間違いを繰り返さないためには、辛い別れが必要だったのかもしれないし、とかね。

多分、最終的に人間をしあわせにしてくれるのは人との出会い、その共同作業でしかないように思うので、ぜひとも、そういったことを続けていけるだけの人間関係の体力、技術、というのをね。若いうちから沢山、失敗しながら培っていってほしいな、と思います。

2023.12.22 広田淳一